腕組みが解けるまで

土屋 GET DOWN のブログです。私の日常を綴ります。あとは音楽と本のことを少々。

明後日の咆哮

 いつぞやぶりに書く。

 ブログの開始からまる一ヶ月ほど滞りなく書いておきながら、その後を放置してしまうのなら、三日に一回の更新を心がけたほうが良いのかもしれない。

 我が身の裡でふくふくと育った三日坊主に説教を垂れたい。

 それにしても書き続けていた一ヶ月間より現在の訪問者数が三倍近い数値なのは、しかるに Hatena の運営の計らいだろうか。

 ……不敬だ。

 無粋な勘繰りにもほどがある。

 考えを改め、いや戒め、もう一度思索を試みる。

 思うに、星々の数多のマタタキと変わらぬほどの人々のマバタキの刹那、眼に映った風景に、私の与り知らぬ何かしらの力が働き、しかるべき機関のしかるべき手続きを踏んで、このブログにたどり着いたのだろう。

 ふん、そう考えると合点がいく。

 ともなればその礼には全霊をもって応えねばならん。

 ようこそ我がブログ〝腕組みが解けるまで〟へ。

 

 さて、せっかく場を設けたわけだ。ここはひとつヒトの人生を左右する気の利いた格言でもひねり出したいところだが、悔しいかな、無い袖は振れず、逆立ちしてみても我が眼鏡がずるりとすべり落ちる無様を見せるだけだ。

 いやまてよ。

 それはそれで意外に面白い。

 ともなれば、いまだ風化の兆しを見せないトレンド「やってみた」でもやってみればブログとしても格好がつくのではないだろうか。

 

「土屋 GET DOWN、逆立ちをやってみた」

 

 とりあえず活字だけでやってみた。行動はしていない。

 それにしても、こう活字にすると、いまふたつほども味気ない。

 土屋 GET DOWN という名前のインパクトが露呈されただけだ。

 

「逆立ちをやってみた(土屋 GET DOWN)」 

 

 奥ゆかしさを演出してみた。

 が、単に恥ずかしくておどおどと隠れているように見える。

 そもそも解散したバンドみたいではないか。

 分別もなく、クラブっぽくa.k.aを付けたくなる。

 そういえば最近はa.k.aを見なくなった。廃れたのだろうか。

 したり顔で「アーカ」と読んでいたころの私の口をミッフィーのように縫合したい。

 とにもかくにも三歩後ろを行くイメージが必要であると考える。

 

「逆立ちをやってみた…土屋 GET DOWN

 

 惜しい。こうなると名前のインパクトが邪魔をする。

 だが我が名を以て「やってみた」なのだから、無くしてしまうのは本末転倒な気がするわけだ。

 

「何もいえなくて…土屋 GET DOWN

 

  90`s J-ROCKの夏である。

 なにもかもができすぎていたあの頃の夏にノスタルジィ。

 奥ゆかしさは確かに感じられる。

 

「逆立ちをやってみた…夏」

 

 !

 我を見失った! もはや天啓か!!

 だが……清涼感があり、どことなくノスタルジックで、青々とした若い挫折の機微が感じられる。

 そもそも「やってみた」なのだから「できた」わけではない。いわばチャレンジの宣言であり、

「私はこれこれこうこうやってみたのですが、出来はいかかがでしょうか」

 と、こう世間にお伺いを立てているわけだ。

 なるほど、そう考えると、「やってみた」には物語が感じられる。

 

 チャレンジは良いぞ。

 熱を帯びた体躯がふわりと風に押され、気がつけば駆け出しているあの衝動。

 血沸き肉躍る、代謝という代謝が巡り巡って、いろんな穴からいろんな液が飛び出る、かの衝撃。

 ああ、人を奮い立たせてやまない根源、輝かしき〝チャレンジ精神〟が、我が四肢に、我が五臓六腑にしみわたる。

 五臓六腑くるのは年のせいか。

 些事だ。忘れよう。

 いまは全身にあふれるパワーに感じ入ろうではないか。

 さあ、最後の宣言だ!

 

「夏! チャレンジ!」

 

 どこかの塾の夏期講習か。

 

 おあとがよろしいようで。